『恋するアプリ Love Alarm』が映し出す、愛の不在を知る恐怖

半径10メートル。それがで描かれる愛の射程距離です。スマートフォンのアラームが鳴れば、誰かがあなたを愛している。鳴らなければ、そこに愛はない。このNetflixオリジナル韓国ドラマを見終えたとき、私は妙な違和感を覚えました。これは本当に「愛を教えてくれる」物語なのだろうか、と。


むしろこのドラマが描いているのは、愛を数値化することで見えてくる「愛の不在」への恐怖ではないでしょうか。ソウルの街角で日々スマートフォンを見つめる人々の姿と重なって、このドラマの問いかけが現実味を帯びてきます。


Love Alarm主人公3人とアプリの円形エフェクト、都市背景のポスタ


アプリが鳴らない瞬間に何を感じるか?


主人公キム・ジョジョ(キム・ソヒョン)が初めてLove Alarmをインストールする場面。学校の廊下で、期待と不安が入り混じった表情でアプリを起動する彼女の姿は、まるで運命の審判を待つようでした。そして、アラームが鳴らない。その瞬間の沈黙が、視聴者の胸に重くのしかかります。


この「鳴らない」という事実が持つ残酷さこそ、このドラマの核心です。現実の恋愛では、相手の気持ちが分からないことで希望を持ち続けることができます。しかしLove Alarmの世界では、沈黙は明確な「NO」を意味してしまう。ドラマはこの設定を通じて、知らないでいることの幸福と、知ってしまうことの残酷さを対比させているのです。


なぜ「シールド」機能が必要だったのか?


シーズン2で登場する「シールド」機能は、このドラマが単純な恋愛物語ではないことを決定づけました。自分の感情を隠すための有料機能。これを購入する人々の姿は、まさに現代社会における感情の商品化を象徴しています。


ファン・ソヌ(ソン・ガン)がシールドを使う理由、それは愛することの責任から逃れるためでした。彼の選択は卑怯に見えるかもしれません。しかし、愛が可視化される世界において、愛さないことも愛することも等しく暴力的になりうる。この矛盾をドラマは鋭く突いています。


韓国社会、特にソウルのような大都市では、他者の視線を強く意識する文化があります。Love Alarmはその文化的背景を極端に増幅させた世界観を提示することで、私たちが日常的に感じている「見られること」への恐怖を可視化しているのです。


テクノロジーは感情の真実を映し出せるか?


イ・ヒョヨン(チョン・ガラム)の存在は、このドラマにおける重要な問いを体現しています。彼のアラームは常に鳴り続ける。しかしその愛は報われない。テクノロジーが示す「好き」という感情と、人間が求める「愛される」という体験の間には、埋めがたい溝があることを彼の物語は教えてくれます。


実際の生体認識技術は、心拍数や発汗量から感情の一端を読み取ることができるようになってきています。しかし、それは本当に「愛」なのでしょうか。一時的な興奮や執着、依存と愛をどう区別するのか。Love Alarmはこの問題に答えを出さず、むしろ問いを深めていきます。


「見える化」された感情は本物なのか?


ドラマの中で最も印象的だったのは、アプリによって恋愛感情が「見える化」された後の人々の行動変化です。アラームが鳴ることを前提とした告白、鳴らないことを恐れて距離を取る関係、数値化された愛情に振り回される若者たち。


これは決して架空の話ではありません。現実世界でも、SNSの「いいね」数やマッチングアプリのアルゴリズムによって、私たちの恋愛行動は既に大きく変化しています。Love Alarmは、その延長線上にある未来を描いているに過ぎないのです。


愛の本質を問い直すドラマの真価


Love Alarmアプリ開発者ブライアン・チョンの正体が明かされる終盤、彼の動機は復讐でも金儲けでもなく、純粋な好奇心だったことが判明します。「人は本当に愛し合えるのか」という問いに対する壮大な実験。これこそが、このドラマが提示する最も重要なテーマです。


ドラマは「愛を教える」のではなく、「愛とは何か」を問い続けます。アプリが示す数値は、果たして愛なのか。言葉や行動で示される愛と、生体反応として現れる愛は同じものなのか。そもそも愛は測定可能なものなのか。


沈黙の中にある愛の可能性


最終話でジョジョが下した決断は、多くの視聴者を困惑させました。しかし彼女の選択は、このドラマが伝えたかったメッセージを最も雄弁に物語っています。アプリが示す愛ではなく、アプリが示さない愛を信じること。テクノロジーの判定を超えた先にある、人間同士の繋がりを選ぶこと。


『Love Alarm』は愛を教えてくれるドラマではありません。むしろ、愛について私たちが抱いている幻想や期待、恐怖を暴き出す装置として機能しています。それは時に残酷で、時に優しく、常に複雑で曖昧な感情の世界を、テクノロジーという鏡に映し出して見せてくれるのです。


このドラマを見終えて、私たちは愛について何か新しいことを学ぶのではなく、愛について知らないことがいかに多いかを思い知らされます。そしてその「知らないこと」の中にこそ、本当の愛が存在するのかもしれません。


『地獄が呼んでいる』が問いかける恐怖と信仰の曖昧な境界線