『ライブ〜君こそが生きる理由〜』が突きつける、公務員という"命がけの安定職"の矛盾

雨に濡れた制服のまま、新人警察官ハン・ジョンオが泥だらけの顔で笑う場面があります。酔っぱらいの吐瀉物を片付け、理不尽な罵声を浴びせられ、それでも「お母さんのために頑張る」と呟く彼女の姿に、私は韓国社会が抱える深い矛盾を見ました。


韓国ドラマ「ライブ〜君こそが生きる理由〜」のメインポスター。青い警察制服を着た3人の主要キャスト(左からイ・グァンス、チョン・ユミ、ペ・ソンウ)が並んでいる。背景は青いボケ効果で、中央に大きく「LIVE」のタイトルと日本語サブタイトル「君こそが生きる理由」が配置されている。


警察官は本当に"安定した職業"なのか?


『ライブ〜君こそが生きる理由〜』は、韓国で最も忙しいとされるホンイル交番を舞台に、警察官たちの日常を描いた作品です。しかし、このドラマが見せるのは、私たちが思い描く「公務員」のイメージとはまったく違う現実でした。


初任給では一人暮らしもままならず、副業をする警察官。病気になっても休めない過酷な勤務体制。そして何より印象的だったのは、警察学校での訓練シーンで描かれる、まるで軍隊のような厳しさです。訓練生たちが次々と脱落していく様子は、これが本当に「安定した職業」への道なのかと問いかけてきます。


韓国では公務員試験の競争率が異常に高く、特に警察官は「鉄飯碗(철밥통)」と呼ばれる安定職の代表格とされています。しかし、このドラマはその幻想を容赦なく打ち砕きます。


なぜ韓国の警察官には捜査権がないのか?


作品を観ていて気づくのは、警察官たちが事件の捜査よりも、現場対応や市民との衝突処理に追われている点です。これは韓国特有の制度によるものです。


韓国では長らく、捜査権と起訴権は検察が独占的に持っており、警察は検察の指揮下で動く補助的な存在でした。つまり、現場で汗を流す警察官たちには、事件を解決する権限すら与えられていなかったのです。この構造的な問題が、ドラマで描かれる警察官たちの無力感や葛藤の背景にあります。


特に印象的だったのは、デモ隊と対峙する機動隊の場面です。市民から「税金泥棒」と罵られながらも、ただ立っているしかない警察官たち。彼らは暴力を振るうことも、逃げることも許されません。この「何もしない」ことが仕事という皮肉な状況は、韓国社会における警察の立場を象徴的に表しています。


「使命感」という名の自己犠牲はどこまで正当化されるのか?


主人公ヨム・サンスが、ブラック企業での経験を経て警察官を志望する設定は興味深いものです。民間企業の理不尽さから逃れて公務員になったはずが、そこにもまた別の形の理不尽が待っていました。


ドラマは「使命感」という言葉を何度も使います。しかし、その使命感は時として、低賃金や過重労働を正当化する都合の良い言葉として機能しているようにも見えます。ベテラン警察官オ・ヤンチョンが降格処分を受けながらも現場で働き続ける姿は、果たして美談なのでしょうか、それとも組織の理不尽さの証明なのでしょうか。


ノ・ヒギョン脚本が描く「人間」としての警察官


このドラマの最大の魅力は、警察官を「職業」としてではなく「人間」として描いた点にあります。ノ・ヒギョン作家特有の繊細な人物描写により、各キャラクターの内面が丁寧に掘り下げられています。


チェ・ミョンホ隊長が部下を叱責しながらも、陰でそっと見守る姿。ハン・ジョンオが母親への電話で見せる疲れた表情。これらの描写は、警察官もまた、家族を持ち、生活に悩み、将来に不安を抱える一人の人間であることを思い出させてくれます。


特に心に残ったのは、警察官同士の夫婦が家事分担で喧嘩する場面です。どちらも激務に追われ、お互いを思いやる余裕すらない。これは警察官に限らず、現代社会で働くすべての人々が抱える問題でもあります。


日本の視聴者はこのドラマから何を読み取るべきか?


日本と韓国の警察制度には大きな違いがありますが、このドラマが提起する問題は普遍的なものです。公務員という職業に対する社会の期待と、実際の労働環境のギャップ。組織の論理と個人の良心の対立。そして何より、「安定」の代償として何を失っているのかという問いかけ。


韓国では近年、公務員志望者が増加していますが、それは社会の不安定さの裏返しでもあります。民間企業での雇用が不安定になればなるほど、人々は公務員という「安全地帯」を求めます。しかし、『ライブ』はその安全地帯もまた、別の形の戦場であることを示しています。


警察ドラマを超えた社会派作品としての価値


このドラマは単なる警察ドラマではありません。それは現代韓国社会、ひいては東アジア社会全体が抱える構造的問題を映し出す鏡です。


性暴力事件への対応場面では、被害者支援の不十分さが浮き彫りになります。家庭内暴力の現場では、介入の限界が描かれます。これらは制度の問題であると同時に、社会全体の意識の問題でもあります。


最も印象的だったのは、ある警察官が「私たちは社会の最後の砦だ」と言いながら、その砦自体が崩れかけている現実を前に無力感に襲われる場面でした。これは警察官個人の問題ではなく、社会システム全体の問題なのです。


「生きる理由」とは誰のためのものか?


タイトルの「君こそが生きる理由」という言葉は、一見美しく聞こえます。しかし、ドラマを観終えた今、この言葉に込められた皮肉を感じずにはいられません。


警察官たちは市民のために生き、市民は自分のために生きる。この非対称性こそが、公務員という職業の本質的な矛盾なのかもしれません。彼らの「生きる理由」は常に他者のためにあり、自分自身のための人生を生きることは許されないのです。


『ライブ〜君こそが生きる理由〜』は、私たちに重要な問いを投げかけます。社会の安定と個人の幸福は両立可能なのか。公共の奉仕者に、私たちはどこまでの犠牲を求めてよいのか。そして何より、「安定した職業」という幻想の裏側で、誰が本当の代償を払っているのか。


このドラマを観た後、街で警察官を見かけるたび、彼らの制服の下にある人間の顔を想像するようになりました。それこそが、この作品が私たちに残した最も大切な視点なのかもしれません。


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